「広げてたり、時間を過去に戻してみる...」
当日、つくば市は雪でした。11月の降雪は関東ではとても珍しいそうです。前日は「勤労感謝の日」でした。「新嘗祭」と本来の暦では表現します。縄文時代には「米」を食べていたらしいと、近年発見されたそうですネ。当時の日本はとても温暖な気候だったようです。
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毎週木曜日の朝、行きつけの喫茶店で
古事記の読書と内容をまとめています。
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「古事記」に興味を持った
そのキッカケのお話を続けます。
日々の生活で起きる様々な出来事。人の思考って、子供の頃受けた教育で形成されるとされます。教育を情報伝達と乱暴に定めると、家族や学校で伝達されたことになるでしょうか。子供の頃、読書に興味がありませんでした。国語がいつも高得点の同級生が読書好きでした。いつも不思議な存在に感じてました。或る時... 自分の意志で得たことと、受け身で得たことの間に「隔たり」を感じました。断続的ではっきりとしませんが... 「読書」などの機会を通して、自らの意志で「情報」を得ることを意識するようになりました。
才能や能力は社会の発展に活かされるもの... それが健全な発想だと信じています。その発想を植え付けて下さった方々の存在。その一方で... その芽が出ないような雰囲気を子供ながら感じてしまったようです。「古事記」で登場する神々の存在。遠い私たち日本人の先祖の思考と、立居振舞が描かれています。未だに... 自ら抱いた疑問、その答を探しているのかも知れません。
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今回は七冊の内、
六冊目を読み続けています。
新釈古事記伝・第六集「天岩屋戸(あまのいわやと)」、
第十二章 「みかしこみ」を読みました。
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いよいよ... 須佐之男命の「勝佐備」が頂点に達する場面を迎えます。天照大御神が天つ神に奉る神の衣を織るお祭りをしている折、須佐之男命は逆剥ぎにされた天斑馬(あめのふちこま)をお祭りの御殿に堕し入れます。
物事を発展させる過程で避けることが「天津罪」と、前回お話を致しました。うつし国の発展のために、高天原で様々な学問や科学を学び、研究をしたと著者・阿部國治氏は推測しています。その途中で生じた、高天原で八百万の神々との衝突を寧ろ健康的な事柄として描いています。
行き過ぎを「勝佐備」と表現し、いよいよ勝佐備が大嘗祭を行われる御殿での不浄な行為にまで及びました。しかしながら、天照大御神は「詔直」を持って咎めずとされました。お祭りを司る神に、信仰を形式的・概念的にする意図があった。正す目的で不浄な行為に及んだのであって、須佐之男命は信仰を犯す意図がなかった。この境目がカギになりそうです。
天照大御神が直接行う神事の最中に、「斑馬堕し入れ(ふちこまおとしいれ)」の行為。即ち、信仰そのものを冒涜する行為であり、ついに一線を越えてしまった。「人の暮らしを発展させる学問や科学は信仰を超えてはならない」と、阿部國治氏は解釈します。ここでおさらいです:
- 「なきいさち」⇒「いつのおたけび」
- 「うけひ」⇒「いふき」
- 「みこうみ」⇒「みこのりわけ」
- 「かちさび」⇒「のりなおし」
「みかしこみ」とは「見畏」と漢字で表現します。広くある事柄をじっと考えること。ありのままを、己を虚しくしてじっと見つめること... 須佐之男命の「ふちこまおとしいれ」に対して、天照大御神は「みかしこみ」。そのお諭しをなさいました。「のりなおし」は他者に対しての働きかけでした。「みかしこみ」では、天照大御神ご自身の大御心を深く内省。須佐之男命の行動と結果の根本的な原因をご自身の中に見出した。そしてご自身の責任であるとお引き受け、畏まれたと著者・阿部國治氏が述べています。学問や科学と言った「生活技術」は私たちが生かされている本質である「信仰」を超えてはならない。もし、一線を越えてしまったら? 明治天皇の御製(ぎょせい)をご紹介したいと存じます:
罪あらば 我を咎めよ 天つ神
民は我が身の 生みし子なれば
(今朝の目覚めの一曲はお休みです。)
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