★ 目覚めの一曲 #25 ★

「志を受継ぐべき人になること。」

今年も残り一カ月余りになりましたね。来年の目標はまとまりましたか? あ、これ自分自身に言ってます(^^;

~ 毎週木曜日の朝(2016年11月現在)、行きつけの喫茶店で古事記の読書と内容をまとめています。 ~

「古事記」に興味を持ったそのキッカケのお話を続けます。

活躍されている方々の多くはご自身の先祖や先輩方を大切にする思いをお持ちでした。日本人として、先祖が我が身を呈して成してきたことを知る。その大切さを知ること。その変遷やことの成り立ちについて、膨大な資料が織り込まれている「存在」を無意識に探し続けていたのだと思います。また、自分自らも活躍したい。そこで活躍できる根拠の発見と、その修練の大切さに気が付きました。

修練には幾ばくかの年月が掛かるものです。日々起きる様々な出来事に翻弄されつつも、自らの本質を失わない、そんな生活を送らなければなりません。常に本質的な選択ができるかどうか? また目の前の出来事とどのように折り合いをつけるのか? そのようなことがとても大切になると考えています。今回のお話にそのヒントが隠されていました。今週も元気にスタートです。今朝の目覚めの一曲は...

レベッカ メドレー

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今回は七冊の内、

六冊目を読み始めました。

新釈古事記伝・第六集「天岩屋戸(あまのいわやと)」、

第十一章 「のりなおし」を読みました。

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「悪しを態(わざ)止まずて、うたてありき」

私たちが一般的に触れることができる「古事記」には、「悪行が益々酷くなった」と、表現されています。須佐之男命が高天原で乱暴を働く場面として描かれていますが、著者・阿部國治氏の見解はかなり違うようです。須佐之男命はうつし国の為に高天原で学び、研究をなさいました。前回はその熱心さゆえに引き起こした高天原の神々との衝突についてお話を致しました。須佐之男命と高天原の神々との葛藤を天照大御神が間に入って諭す場面です。

「天津罪と国津罪」

決して好ましいことではないものの、志を持つが故に避けられない罪。それを「天津罪」と説明しています。自己中心的で傲慢な罪を「国津罪」。須佐之男命が「なきいさち」の頃、犯した罪を意味します。著者。阿部國治氏は須佐之男命が高天原で犯した罪を「天津罪」としています。物事を発展させる過程で避けることができない衝突。その際に不本意ながら犯してしまった罪として説明しています。「のりなおし」を経ることで「登賀米受(とがめず=咎めず)」と、寧ろ肯定しています。

「天津罪」を咎めずとは? 天照大御神が持つ、「八尺勾玉之五百津之美須麻流之珠(やさかのまがたまのいほつみすまるのたま)」。別名を「みくらだなのかみ」。「産霊・創造(むすび)の道」は]その働きで成り立ちます。勝佐備(かちさび)は必然的に「天津罪」を生じるのだそうです。天照大御神は行き過ぎた(かちさび)の状態に根拠を与えたり、本質的なことへのフィードバックをする存在。現代的な表現をするとそのようになるでしょうか?

「のりなおし」とは「詔直」と漢字で表現します。須佐之男命の受け持ちは幸御魂(さちみたま)としての荒御魂(あらみたま)を働かせて、技術、物、即ち科学の世界にその研究を進めて、人の世の繁栄を作ること。「かちさび」は必ず起き、欠かせないことなのだそうです。更に奇御魂(くしみたま)で正しく導くのが天照大御神の「のりなおし」であると、著者が説明しています。

何やら魂に幾つか種類があるようです... 「一霊四魂(いちれいしこん)」の概念を出口光氏のコラムを参照致します(http://terakoyajuku.jp/s88/003.html)。一般的に私たちは、其々の持ち分からの視点で物事を判断し、行動を致します。その価値判断を強化しながら具象化してゆきます。その考え方や行為は物事が発展する際にとても大切なことです。その強化され、時に行き過ぎた状態に至ります。普段の生活の中で「志」を持つ際にいきなり困難がやって来るものです。周りの人たちとの葛藤やすれ違い...