★ 目覚めの一曲 #24 ★
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
論語にある言葉ですが、古事記にも当てはまるようです。
~ 毎週木曜日の朝(2016年11月現在)、行きつけの喫茶店で古事記の読書と内容をまとめています。 ~
昨日はつくば市の市長&市議会選挙でした。前日、最終演説を見に行きました。候補者の前に数名の応援演説でした。力説しながら涙ぐむ方が... 誰かを応援する時に、自分を見ているんものなんですね。今週は今朝の目覚めの一曲のご紹介からスタートです。つくば市に憧れて沢山の家族が増えて欲しいですネ。
Maroon 5
Sugar
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「古事記」に興味を持ったそのキッカケのお話を続けます。
祖父母の世代の方々が持ち合わせていた「視点」。その感覚の中で幼少期を過ごしました。年齢を重ねた或る日のこと。普段の生活の中で「クッキーモンスターが増えた!」と、直感致しました。そのことから様々な属性の方々にお会いしました。その活動の中で、「目に見えない区分」に気が付きました。そこには誰でも出入り自由なのです。だだ、何か大切なものを守るために何かしら目に見えない「障壁」が存在しました。その壁を乗り越えて行くことが或る意味で信頼関係を築くことにも気が付きました。
「その世界で活躍できたら楽しそう!」
初めは自分の居場所を何とかしたい、その気持ちが強かったと思います。目の前の問題に対処しても、根本的な解決に至らない。「壁」の向こうで活躍することが本質的なことなのだと、後付けで気が付きました。まず、考え方や習慣を知ること。その世界で役立つ「根拠の修練」がこれからの課題になるかと存じます。即ち、志を受継ぐべき人になること。
今回は七冊の内、五冊目を読みました。新釈古事記伝・第五集「勝佐備(かちさび)」、第十章 「かちさび」を読みました。五冊目最終章です。実は... この一節にとても関心を寄せていました。現代の学説やYoutubからの印象をまとめると、その多くが勝負に勝った須佐之男命が悪さをするからです。
https://youtu.be/fKN4VFjq1Ys?list=PLuqfHUJntJHDTqsefBZ6ZXzZ3qU4arw2L
「みこうみ」の一大事の後、三柱の女神を産んだ須佐之男命が思いあがって乱暴を働いた... 改心して役割分担に目覚めた須佐之男命。その意志を受継ぐべく「みこ」まで生みました。その後で乱暴を働くのはこれまでの文脈上とても矛盾めいています。著者の見解がとても楽しみでした。
「かちさび」。古事記の文中に「勝佐備」とあります。前回、「勝」の意味の解釈に挑み、結局お話できずに終わりました。「ある事柄をやり抜いてゆく」。更に、「神の"むすび"をやり抜いてゆく」。或る意味、継続性を感じさせる言葉の様です。「さび」は元は「すさぶ」と言う言葉なのだそうです。時に、大和言葉には複数の意味が込められているようです。
- いよいよすすむ
- 一方に進み過ぎで支障を生じる
- 行き過ぎて衰えを生じる
「かちさび」とは、第一義的に「自分の本文を実現する為に邁進する」となります。なお、原文に「我が心清き故に、手弱女(てわやめ)を得つ。...我勝ちぬ。」と、あります。「手」とは生活技術としての知識や技能のことです。女性は根本的な貴さと、手弱さを兼ね備えています。男性の役割の一つはそれを補い、本来の使命を果たさせること。男性としての本分をやり抜きたい... その様に著者が解釈しています。更に須佐之男命がその発言の後、「ある一定程度の期間に於いて、高天原で学んだのではないか?」と、推測しています:
田畑や家の作り方を始めとする生活の手立てを学び、その研究に夢中になったに違いありません。「勝佐備...」の第二義は「一方に進み過ぎで支障を生じる」でした。恐らく、須佐之男命はかなり研究熱心だったのでしょう。時に教えを乞う相手に様々な持論をぶつけたのかも知れません。その行き過ぎた思いが、ある時を境に行動に出てしまった。それを田を荒らし、お祭りをする御殿に不浄な行為をした。周りの神々はその様に捉えたのだと、そのように記載されてました。
次回は、いよいよ天岩屋戸のお話、第六集に進みます。
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