★ 目覚めの一曲 #23 ★

ずっと同じ事を続けていると、自然と「定点観測」をしていることになります。~ 毎週木曜日の朝、行きつけの喫茶店で古事記の読書と内容をまとめています。 ~ 毎週、同じ時間帯で同じ場所にいます。それでも同じ人々に遭遇するのって、或る意味珍しいのかも知れませんね。珍しいと言えば... お客様の一人がピアノを演奏してました。

今回で13回目です。未だ独りでコンテンツ作りに励んでいます。前回、「古事記」に興味を持ったそのキッカケについてお伝えしました。それは普段の生活の中で「クッキーモンスターが増えた!」と、直感しました。これに気が付いたのも、ずっと同じ事を続けていたからでした。

私の祖父母の世代の方々は、何事においても「周りの人の事を考えた行動」を重んじていました。正直、子供の時分の事でしたから、とても負担を感じました。そんな不完全な自分が「劣化」を感じるほど、自分の居場所の「変化」を感じてしまったのです。今思えば... 自分の居場所の変化から、世の中全体の変化を感じたのかも知れません。その時は只々「何とかしたい」と、その思いだけでした。そこで様々な属性の方々に会いに行くのですが...

今回は七冊の内、五冊目を読んでいます。新釈古事記伝・第五集「勝佐備(かちさび)」、第九章 「みこのりわけ」を読みました。天照大御神と須佐之男命の「みこうみ」の一大事により、八柱の神々がお現れになりました。「みこのりわけ」、即ち「子詔別」。其々の神々の役割についてのお話です。

「みこうみ」の際、「天之御中主神」、「高御産巣日神」、「神御産巣日神」から受け継いだ「ひかり」を実現しました。天照大御神と須佐之男命は父である伊邪那岐命から其々役割分担を担っています。「みこうみ」から八柱の神々がお現れましたが、ここでも其々の役割分担が明確にされます。ここで、「いふき」と、「ものだね」について言及しています。天照大御神と須佐之男命は其々相手の持ち物に「いふき」をすることで「みこうみ」をします。

其々の持ち物が「八尺勾玉之五百津之美須麻流之珠(やさかのまがたまのいほつのみすまるのたま)」、「十拳劔(とつかつるぎ)」でした。持ち物そのものが「ものだね」であり、既に役割が宿されていました。天照大御神の受け持ち実現に於いて、まず「ひかり」を受ける対象が必要であること。また、天照大御神自身の「いのち」を分けた「わけみたま(分魂・分身)」が必要になるそうです。其々に須佐之男命の「まいのぼり」により、実現が叶ったことになります。天照大御神の受け持ちとは、無生物・生物・人間の其々がお互いに天之御中主神の現れであることを知らせること。共々に「むすび」と「にぎわい」の道にいそしみ、共に生き共に楽しませること。その受け持ちを現すものが「ものだね」である「八尺勾玉之五百津之美須麻流之珠」。そのように著者が説明します。読み始める前に、八柱の神々其々の役割についての具体的な紹介と、考えておりました。その背景や考え方について、その記載が主体である印象を受けました。

今回は第九章 「みこのりわけ」の約半分を読みました。現し(うつし)世にやがて実現される「ひのくに(日本国)」の君たるべき御子。その君の「おおみわざ」を助けるべき民の「おや(祖先)」が生まれた瞬間のお話でした。「みこのりわけ」の章は大和民族にとってとても大切なお話です。また次回もご紹介したいと存じます。

さて、今朝の目覚めの一曲は...

Bob Dylan

Blowing in The Wind

https://youtu.be/vWwgrjjIMXA