★ 目覚めの一曲 #19 ★「故爾各中置天安河而、宇気布時」
「故爾各中置天安河而、宇気布時」
故(かれ)ここに各天(あめ)の安(やす)の河(かは)を中に置きて誓(うけ)ふ時に
著者・阿部國治氏によると:
日本人は「まいのぼり」から「うけひ」を、そしてしっかりと「あめのやすかわ」を体認すべきである。「現実にしっかり目を向けて、人に宿された「根本の力」を感じること。自分が帰属している場所を体感し大切にしなさい。」 自分の言葉で表現すると、こんな感じになるのではないかと思います。須佐之男命を荒ぶる神としてではなく、開拓の神としての側面に焦点を当てる著者の見解の数々。また、古語があまりに多く出てきます。文章の流れを見失いがちです。端的に「意」とすることを感じ取るよう心がけてみました。
第九回目でした。今回は七冊の内、五冊目を読み始めました。新釈古事記伝・第五集「勝佐備(かちさび)」、第五章「あめのやすのかわ」を読みました。天安河は高天原にあり、とても大切で、象徴的な場所のようです。この河をは挟んで天照大御神と建速須佐之男命の「みこうみ」の一大事。天岩屋戸のお隠(こも)りの際、八百万神の神集い、神謀りをなさった場所。「安河」は地上世界にも存在すると著者は主張しています。"やす"は「平たく安らけくこと」、「休(やす)む」、「寝(や)む」。"かわ"は家、村、国などの「いのち」。即ち、動く極致(水)と動かぬ極致(川そのもの)がひとつになった姿を現すのだそうです。
安河に帰一(きいつ)することで、安らかな気持ちになります。無限の活動力を得て、安河の為に尽力するようになるそうです。「弥進」と「弥為」。このような文字が書かれていました。意味はかろうじて汲み取れましたが、なんと読むのでしょうか? 調べてみましたが、結局分かりませんでした。他の資料を参考にしながら"まとめ"ていますが、其々の資料に独自の見解があるような印象を受けています。
更に、今回の「弥進」や「弥為」のように、今疑問を感じても答えや糸口が即座に見つからないもののようです。数カ月先、何かの切っ掛けで分かったりします。そんな発見がまた面白いと感じております。例えば、おのころ島は天体(地球)であるとする説とそうでない説(島)があること。因幡の白兎に登場するワニは実在したとする説等々。(ワニのお話は縄文時代での稲作の有無にまで関係するらしいので、とても好奇心が掻き立てられます。)
総じて... 「日本はとても素敵な国である」と、ごく自然に言える人が増えて欲しいと思っています。その思いで内容の紹介と感想を綴っていきたいと考えています。
さて、今朝の目覚めの一曲は...
SING,SING,SING
原信夫とシャープス&フラッツ
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