★ 目覚めの一曲 #14 ★
先週は東京で勉強会&懇親会に参加したので、読書会はお休みしました。ようやく三回目になりました。随分と独りよがりな「読書会」です。だって、事前に告知しないし、人知れずやっているのですから... 未だ試験運転中なので、様々な出来事が楽しいのです。テキストは「古事記」の入門編の位置づけのような本です。今回は、七冊一組の三冊目を途中まで読んでみました。
「仕事」への考え方について語ってました。読書の楽しみは... 自分自身の人生に起きる出来事とその本の物語に置き換えて読むと楽しいのかも知れません。こんな局面で登場人物は... どんな立居振舞をした? どんな決断をした? 以前、大国主命は様々な呼ばれ方があると触れました。優秀すぎるから沢山の名前で呼ばれるのです。様々な実績と名声があるからこそ、「本質」から遠くなることもあるのです。八十神たちに命を狙われたのも優秀すぎるが故。彼らとの「自他との協調」のために命がけで、学問と技術を建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の下で学びます。しかしながら... 命がけで身に付けた学問や技術を施しても、取り巻く人々の目に光がない。大国主命はそのことに納得がいかないのでした。それで自分探しの旅をしたようです...
出雲の御大之御崎(みおのみさき)の旅行で「小人」に、別の旅行で「谷蟆(たにくく=ヒキガエル)」に遭遇します。また、自らの姿を「案山子(かかし)」に準えます。ヒキガエルは一見気持ちが悪く、体裁の悪いものの例えとして登場します。ヒキガエルには、個々の生命には大小や貴賤が無いことを、象徴していると著者は言及しています。大国主命が「感じていた行き詰まりが開ける」と、確信したと説明します。また、案山子は久延毘古(くえびこ)と言って、人たることを辞めた廃人なのだそうです。そうなることで、世の中のあらゆる現象が全てそのまま働きかけてきます。以前、赤猪と偽って焼けた石を抱かされた大国主命は絶命しました。また、大樹の間に挟まれ再び絶命しました。そのような自分の姿を「案山子」に見出したと、著者は推測しています。
絶命の際に、神産巣日神(かみむすびのかみ)の計らいにより蘇生します。御大之御崎(みおのみさき)で「小人」に出会いますが、神産巣日神の子供に当たります。とても目立たない小さな小さな存在で、自らを「名無し坊」と名乗ります。「自他一体の境地」に至る修行を「名無し坊」の下で積むことになります。良い仕事を成すには誰にも気が付かれないことが大切。皆が喜んでいるのを眺めているのが至福なのだそうです。人を喜ばせるには本質を知らなければなりません。「名誉」が本質から遠くなる原因なのだそうです。それには感謝や称賛のしようがない存在でなければならないそうです。生命に対する理解と共感。本質が見えるよう努めること。これらがあって本当に実を結ぶ仕事になり、万人が喜ぶ姿が自己の喜びとして感じるられるそうです。あっ、ご心配なく! 自らを「名無し坊」と名乗る神様はちゃんとお名前があります。古事記では少名毘古那神(すくなびこなのかみ)、日本書紀では少彦名命(すくなびこなのみこと)と呼ばれています。
読書の楽しみは... 自分自身の人生に起きる出来事とその本の物語に置き換えて読むと楽しいのかも知れません。だって、答えがそこにあるのです。やっぱりそうだよなぁ... おぼろげな思いが言葉になっているのですから。ハッキリと!
さて、今朝の「目覚めの一曲」は...
Count Basieです。
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